腕時計市場の変化

ところで腕時計は、現在私達の周囲にすっかり定着しています。この腕時計ですが、それでは一体何時頃誕生したのでしょうか。そして現在に至るまでに、この腕時計は一体どのような歴史を辿ってきたのでしょうか。私達人類は腕時計とどのように関わってきたのでしょうか。ここまでこの記事で簡単に腕時計の 歴史について振り返っていきます。ここで皆さんも腕時計の歴史を勉強してみては如何でしょうか。そして改めて腕時計の歴史とその歩みを感じていただければ、と思います。
1970年代に日本の腕時計メーカーであるセイコーが開発、製造した腕時計であるクォーツ腕時計が世界の腕時計市場を席巻しました。クォーツ腕時計の登場は世界の腕時計市場の勢力図を大きく塗り替え、それまで腕時計の本場であったスイス、それにそれまで全盛を誇っていたアメリカの腕時計メーカーは一気に凋落するに至りました。
ですが1980年代に入ると、世界の腕時計市場は再びその変化を見せるに至ります。1980年代に入ってからは、腕時計の精度ではクォーツ腕時計に劣るものの、腕時計に精通した熟練工達によって作り上げられる機械式の腕時計の良さとその味わいが再評価され始め、スイス製の高級機械式腕時計が徐々に再び人気を取り戻してきました。
さてかのクォーツ腕時計が登場して以降、欧州では機械式腕時計のメーカーや、或いはそのムーブメント製造を行う腕時計専門メーカーの再編や淘汰が進んでいきました。そして腕時計製造におけるコストカットの観点から、腕時計の部品の製作、それに加工に自動化設備が導入されていき、そして世界的な規模でムーブメントの共有化が進みました。その結果スイスのエタが、欧州の機械式腕時計業界へのムーブメント供給において、大きな市場シェアを占めるようになっていきました。この為高級腕時計ブランドは、大衆腕時計ブランドと同型のムーブメントを共用しつつも、ケーシング(精度、仕上、耐久性、デザイン等を決定する最終組立)による腕時計の差別化に対して、その技術とコストとを集中出来る状況となっていきました。
そんな一方で、所謂マニュファクチュールと呼ばれるメーカーも登場しています。これは一部の特殊な腕時計パーツを除いて、ムーブメントの開発や製造から組み立て、それに腕時計の仕上げまでを一貫して行うことの出来る腕時計メーカーであり、現在の腕時計業界にはこのような性格を持った腕時計メーカーも数多く存在しています。
このように腕時計業界を取り巻く環境が変化しつつある中、日本の腕時計メーカーも大きな変化に直面することとなりました。時計製造を専門としない所謂無名のアッセンブリーメーカーと呼ばれるメーカーが、アジア製の廉価なクォーツムーブメントを、やはり廉価なケースに収めて発売するようになりました。これらの腕時計は実売1000円から3000円程度の格安価格でした。このような驚く程の低価格で腕時計を流通させる事例は、1980年代以降の日本でも一般化していきました。この種の全く無名の廉価腕時計は、中国等人件費の安い国や地域で組み立てられる場合が多くなっています。これらの廉価腕時計は、その外観こそ粗末ですが、腕時計の実用上は支障無い精度と、そして腕時計としては必要十分な防水性を備えていた為、日本だけでなく、世界的に量販価格帯の腕時計市場を席巻するに至りました。
このようにして世界の腕時計市場は、かたや手軽で尚且つ高機能なクォーツ時計と、かたや高級な工芸品、嗜好品の機械式腕時計という位置づけで、両者の棲み分けが為されるようになっていきました。

世界の腕時計市場において見事に復権を果たしたスイス製の機械式腕時計が右肩上がりの成長を始めるのと同時に、逆に嘗て世界の腕時計市場を席巻した日本製のクォーツ式腕時計の業績は急激に悪化していき、また更にアジア製のクォーツ時計との価格競争にも敗れ、その結果世界の腕時計市場において大幅にシェアを奪われる結果となりました。しかも皮肉なことに、日本の腕時計メーカーは自らが生み出したクォーツ技術によって、1970年代以降世界的にも認められていた機械式腕時計技術を持った優秀な職人を殆ど失っていました。その結果日本の腕時計メーカーは一気に凋落し、苦境に立たされるようになっていました。

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